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ブログ ことぶき歴史鑑定

ブログことぶき歴史鑑定は、(株)寿資産評価が運営しています。
鑑定評価の現場調査などの際に訪れた地元の史跡などを紹介します。また、スタッフの日常の出来事なども綴ります。
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知立神社(知立市西町)

2023-06-03
カテゴリ:歴史鑑定
知立神社は、池鯉鮒大明神と呼ばれ、江戸時代東海道三社の一つに加えられた名社で、社伝では第12代景行天皇の42年(112)創建と言われています。 境内に建てられている「多宝塔」は、国の重要文化財であり、古額、舞楽面、能面等は県指定に、獅子頭面他9点は市指定の文化財になっています。「知立市役所HPより」
非常に古い神社ですが、私の自宅からそれほど遠くない距離にあるため、年に数回は訪れています。
今の時期は、併設している花しょうぶ園の「花しょうぶ」が見頃を迎えていました。同じ知立市の八橋にある無量壽寺は「かきつばた」の名勝地ですが、かきつばたは見頃がやや早く5月に開花します。
最近では、NHK大河ドラマ「どうする家康」で、家康の側室お万の方のゆかりの地として紹介されました。
本殿
多宝塔【国重要文化財】
知立公園(東公園)
花しょうぶ

砥鹿神社へ初詣(豊川市一宮町)

2022-01-02
カテゴリ:歴史鑑定
豊川市(旧一宮町)にある砥鹿神社に初詣に行きました。
元旦の午前中でしたので、ほとんど混雑はしていなく、スムースにお参りすることが出来ました。
入口と出口が指定されており、コロナ対策されていました。
砥鹿神社の砥鹿とは、永く神霊を止め置く所「止所(とが)の地」という意味があるそうです。
その歴史はたいへん古く、西暦701年~704年に里宮の社殿が建立されました。平安時代には「延喜式内社」に列せられ、三河国の国司が国内神社に巡拝奉幣する筆頭神社「一之宮」となりました。「砥鹿神社WEBサイトより」

八橋かきつばた園(知立市八橋町)

2021-05-09
カテゴリ:歴史鑑定
オススメ
知立市八橋町の無量壽寺にある、八橋かきつばた園に行きました。
この地で有名なのは、「伊勢物語」で平安時代の歌人在原業平とおぼしき主人公が「かきつばた」の5文字を句頭に入れて詠んだ歌、
らころも つつなれにし ましあれば るばるきぬる びをしぞおもふ」です。
かきつばたは見頃を過ぎていましたが、それゆえか人も少なくゆっくり鑑賞することができました。
園内には在原業平の像と歌碑があり、伊勢物語がつくられた平安時代を偲ぶことができます。
地名である八橋と同じ名前の和菓子が販売されていましたので、お土産に購入しました。
和菓子の八橋は京都のお菓子だと思っていましたので、便乗して販売しているのだなとその場では感じました。
しかし帰宅してからお菓子の中に入っていた説明書きを見ると、知立の八橋の地名が和菓子の名前の由来だとわかりました。
周辺の地価公示知立‐3(知立市八橋町的場43番2外)は、令和3年1月1日時点で98,800円/㎡、年間変動率‐1.2%です。農家住宅も見られる既成住宅地域であり需給関係は概ね安定していましたが、新型コロナウイルス感染症の拡大により需要は弱含んでいる状況です。
晩春の風情を楽しむことができた一日でした。

香嵐渓と飯盛山(豊田市足助町)

2020-11-20
カテゴリ:その他,日常の出来事
オススメ
約20年ぶりに豊田市の足助町にある香嵐渓に紅葉狩りに行きました。
足助町は平成17年に近隣の下山村、小原町、稲武町、旭町とともに豊田市に編入されています。
私は、20年くらい昔、固定資産税評価替えの仕事で足助町、下山村、小原町、稲武町の担当をしていたこともあり、香嵐渓にはよく出かけていた記憶があります。その頃は、仕事の合間に景色の良い場所に車を停めてよく昼寝をしていました。こちらの方の風景はなんだかホッとして、癒された思い出があります。
コロナ禍ではあるものの、紅葉の季節は渋滞が予想されますので、朝早めに家を出て8時半に現地に到着しました。それでも、駐車場の2km前位から渋滞していました。
肝心の紅葉は、見頃からは少しだけ早い程度でしたが、鮮やかな色でなかなかの見応えがありました。
ついでに隣にあります飯盛山に登ってきました。こちらは観光客が少なく、頂上付近の紅葉は写真に人が写ることもなく撮影できました。
飯盛山は標高251mです。
秋の風情を楽しむことができた一日でした。

奥殿陣屋と村積山

2020-10-24
カテゴリ:歴史鑑定
注目
入り口
奥殿陣屋入り口
日本庭園
熊野神社鳥居
登山道
分岐点
ウサギの置き物
村積山山頂
展望台からの景色
名古屋駅ビル群
コスモス畑
10月の中旬、岡崎市にある奥殿陣屋を訪れました。また、陣屋の南側に座する村積山に登りました。
奥殿陣屋は、徳川氏の発祥地松平郷に程近いところに位置します。大給松平家5代真乗の子・真次が奥殿松平家初代としてこの地を統治したことに端を発し、その後、乗真(初代藩主)が正徳元年(1711)に奥殿に陣屋を移して奥殿藩が誕生したことが奥殿陣屋の始まりです。
朝9時頃に現地に到着しましたが、開催されていた骨董市を見回っている観光客が見られました。
陣屋内にはこじんまりとした日本庭園があり風情を感じます。書院内には喫茶コーナーがあり、庭を眺めながら抹茶パフェなどの抹茶系の甘いものが頂けます。
登山道は陣屋の東にある熊野神社の鳥居付近から伸びています。
登山道は整備されてはいますが舗装はされていませんので、慣れていないと筋肉痛になりそうです。途中数カ所の分岐点があり、なぜかウサギの置物などもあり、山頂に辿り着きました。
海抜256.9mと低山ながら、山姿が富士山に似ていることから三河富士と呼ばれ、地域で親しまれているそうです。
山頂のそばに展望台があります。三河平野から名古屋・伊吹山・養老山系・鈴鹿山系を楽しむ ことができます。JRセントラルタワーズやミッドランドスクエアなど名古屋駅の高層ビル群が見えたのは驚きました。
下山し、ちょうど見頃のコスモス畑を通り更けて帰路につきました。
秋を満喫出来た一日でした。
 
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